『Contemporary Northern Cruise』第6の章 忘れ物です。

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第1の章 待たせすぎたオタク

第2の章 海の見える街で

第3の章 今、何を考えているの?

第4の章 祈る秋

第5の章 本棚

6の章 忘れ物です。

 

6階の定位置が再び空席になっていた。

このプロムナードラウンジから海を見ることはできるが、だから実際に今こうして見ているのだが、デッキから見渡したあの海は日の出にしてもライブにしても特殊な状況であったことを思い出す。高層ビルの隙間を無心でスルスルと歩く程度にはかしこい。展望台から見渡す街が特殊な風景でもなくなってしまった。

私は海の見える街を推していると言った。それは集合場所が好きだからなのかもしれない。みんなが知っている集合場所。私は安全な砂浜から遠くを見ている。たとえ眺めることしかできなくても尊敬や憧れの感情を引き出してくれる。デッキから見渡したあの海がこの街をシンボルタワーに変えた。

 

海の見える街へ足を踏み入れる少し前、私は港の近くにそびえるマリンタワーを訪れていた。

展望台からの絶景はビルと甲板を繋いだ。

目の前には太平洋の海が広がっている。振り向けば見える小さな住宅街、田園風景、鉄道。ガラスで囲まれたこの場所に風向きは楽な行き先を知らせてくれない。

目線を落とした私は両手の荷物を見た。なぜ買い出しをしてからこのタワーに登ってしまったのか。全てが揃ってからのお別れの風景こそ、やはりこの場所が相応しいと思っていたことを思い出す。ここでも予習をしていた。いや、セイミヤに釣られたのだ。賢明なオタク読者の皆様であればこの後どのような一節が入るのか予想はつくと思う。もういいだろう。はじめま…

フィッツジェラルド久石譲ceroも失われた街を描いた。私は失われた街に憧れやすい境遇だった。大都会と海に挟まれた街、高層ビルも港もある街、横浜はそんな場所だった。今日も湘南新宿ラインは駆け抜けていることだろう。私は街に行くことで街とともに消失できるのではないかと信じていた。海の見える街にやってくる木枯らしを信じていた。寂しさこそ失われることだと思っていた。早朝、街から沖へ向かう雲はごうごうと音を立てながら青空に流れていった。

「漂流者〜Drifting in the City」は、明日には消えていく海の見える街を彷徨う旅の始まりに相応しい一曲だ。

日の出の時に見た雲の特等席は、同じ時代を生きる同志に、あの街の誰かが失った感情に見せるためのものだ。

失ったものにすがる力を持つ私たちは消えていった感情を思い出せるはずだろう。

 

水戸駅から大洗駅までは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線を利用する。大洗マリンタワーから見ていた田園風景を突っ切る臨海鉄道。東京のりんかい線とはまた感覚が違う、素晴らしい車窓だった。

 

私は目的地、大洗駅の改札で電車にスマホを忘れていたと気づく。ダメだろうなと思いながらも走ってホームに戻ると、さっき乗っていた電車はまだそこにいてくれた。

座席を探しても忘れ物はなかった。

慌ただしく車内をウロウロする私に学生制服を着た女性が不安そうに話しかけてきた。

「あの、ケータイですよね?届けてあります。」

「ありがとうございます。本当に助かりました。本当に。ありがとう。」

私は車掌さんからスマホを受け取って同じ階段をもう一度、今度はゆっくりと降った。もちろん心拍数はさっきより高かった。

そういえば、都会なら終わっていたのかもしれないと思った。停車時間の長さに救われたのだ。誰かの余裕のおかげだった。

スマホで写真を1枚も撮らず、田園風景を突っ切る車窓をただずっと眺めていたことに強く納得した。

 

新たな地へ導くものに異国の思い出を全て話せるわけではない。

 

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