『Contemporary Northern Cruise』第4の章 祈る秋
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第4の章 祈る秋
6階の定位置に座っていると同じエリアのレストランから朝食の香りが運ばれてくる。昨日の睡眠不足で目を閉じていると料理を配膳するシェフたちの楽しげな声が半円状の階段を上っていく。このまま、この街が消えるまで静かに眠っていても良いと思った。別れの挨拶なんていらないのかもしれない…しかし、せめてこの街で最初で最後の朝食はいただいておこう。
欲張った旅の疲れは中途半端な達成感に曇り空を感じるが、私に加わった選択肢を今の私が選ぶべきであることに、そんな人間には絶対になりたくないという拘泥から、どうせいつか私もそう思ってしまうのだろうという諦めへのグラデーションが薄闇を進ませていたと気づいた頃くらいの私なら目をつぶってくれるはずだ。
興味のないふりをすることは意外と簡単なのかもしれない。知っているふりは難しい。
私は記憶を過剰に興味の対象としている。私に加わる選択肢が新しい痛みなのだとしても今はそれを掴みに行く選択ができる。
やまいのことを知らないフリするためにやまいを知ったのだ。わずらうものではない。もうぴたりと身体に収まっている刃物を抜く瞬間のために私はいつだって記憶を錆びさせようとしなかったのかもしれない。そうするしかないと思っている根源に優しさがあるのだとしたらあんまりだ。しかし、あんまりだと思う理由くらいはあるだろう。
私のリュックサックに転校生がやってきた。先生と地元が同じらしい。みんなは職員室での会話をこっそり聞いていた。きみは背中を向けていたけれど知っていたんだ。知らないふりをすることが楽しかった。
思い詰めるには丁度いい時間が経ったので海の見える朝食を取りに行こう。私は海の見える街から見える海を見て食べる朝食を知らない。
相変わらずジブリのサントラが流れ続けていることに気づいた。ジブリの登場人物たちはジブリのサントラを知らないだろうな…私は知ってしまった。意識の外だったひと時こそ誰かが、映像をリアルタイムで見ながらアドリブで音楽を当てたマイルス・デイヴィスのような最高のサントラを用意してくれていたのだろう。私がそれを聞くことはない。
希望の光が見えないことにも理解はできる。
思い詰めるには時間が経ちすぎてしまった。考えることは脳へのインプットなので何がしかのアウトプットでバランスを取りたい。不健康のもとであることを知ってしまったからだ。手を動かして朝食を取ろう。胃袋に入れる行為がアウトプットだと思っていることには笑ってしまう。これだって散歩と同じようなものだ。この食事はどう考えても自分の手で取っていることを知っている。
長い思考に溶け込んでいたせいか朝食のバイキングに出遅れてしまった。大皿の角に残った少量のおかずをあのプレートを全て埋めるように乗せていく。デニッシュとコーヒーも取り揃えて窓際の席につく。4人掛けに1人。西側の海だ。おそらく何でも美味い。あのバンドが出したアルバムなら全部好きくらいの感覚だ。朝食バイキングを食べていると、私は海の見える街を推しているのだなと思った。
チェキ飯は #いのるとごはん だ。何かを発信しなければならない死にかけは何も発信しない方がいい死にかけを助けることがある。過剰な言及を避けることが誰かの固執を引き起こさなかったのかもしれないこともある。そこには、今の私にはどちらともとれるみちこちゃんがいた。
もしこれがディナーだったらテーブルの中央にいのりのキャンドルを灯していたと思う。
夜に見たキャンドルは明るくなってもまだ見えている。覚えている。そして…忘れる。
エンドロールは止まらない。戻らない。再放送のない美しさが救済。(オタクのサカモトシンタロウ)
…誰かがレコードプレイヤーのアームを掴む。