『Contemporary Northern Cruise』第5の章 本棚

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第1の章 待たせすぎたオタク

第2の章 海の見える街で

第3の章 今、何を考えているの?

第4の章 祈る秋

5の章 本棚

 

朝食を終えて街を見ると人々は少しだけ賑やかになっていた。隠しきれない満足気を共有しているようだった。ラウンジは満席になっていた。もうすっかりお気に入りの場所、6階プロムナードラウンジの端の席も今は2人組が座っている。

東側の海を見ながら階段を下って5階へ行く。ここはメインフロアだ。街の案内所を中心に、前方から、客室、ラウンジ、ランドリー、給湯室、浴室、展望デッキが揃う。

私は部屋に戻った。リュックサックを置いてサコッシュを持った。本と水を入れて展望デッキへ行く。

5階のラウンジも賑わっている。昨日と同じ場所にいる人を見つけた。窓に足を乗せた変な体勢で寝ている人もいた。

ランドリーと給湯室には誰もいなかった。探偵もいなかった。

海の見える風呂がある。私はこの街について予習をしていた。街になってからの1,2時間は風呂が空いているらしい。確かにその通りだった。曇りガラスに指で文字がかけるくらいの人の少なさだった。

3フロアで続く展望デッキが街の最も後方にある。私は一番下の階から一つずつ上を目指すことにした。重たいドアを開けると向かい風が吹いてきた。大きく伸びをした。

 

どこからか耳馴染みのある音が聞こえてきた。私は目を閉じたまま、ギターだ。と思った。振り返ると2つ上の階に音源を認めた。ギタリストがいる。遠くて目が合ったのかはわからない。私は今すぐ目の前の外階段を上って7階へ行こうと思った。いつまでも踏ん切りがつかなかった。徐々に近づいていくことは怖いと思った。私は咄嗟の判断で屋根のある場所へ戻って階段を登り始めた。呼吸を整えられるくらいの時間を掛けてゆっくりと2階分の階段を登った。7階の長い廊下を往復して時間を作ったりもした。意を決して、何事もなかったかのようにデッキへのドアを越えると、ギタリストは下から見上げたより思いのほか入り口に近い場所にいた。私には通りすぎて次のチャンスを伺うか今すぐに話しかけるかの二択があった。咄嗟に思考が引き出したものはついこの間友人からもらった映画のセリフだった。ここで話しかけた方が面白い旅になる確信を持っていた。

結果、私は話しかけた。それを叶えたのはほぼ全て芸術の力だったと言えよう。

 

「こんにちは。船でギターなんて素敵ですね。」

「あーどうも。聞こえてましたか。」

「ええ。いつもここで練習をしているんですか?」

「そうですね。定期的に向こうで仕事があるので、ここ数年は船の上で新曲を書いてライブで披露する流れができています。」

「到着したらどこへ向かうんですか?」

(中略)

「ギターがお好きで?」

「はい。聞くのも弾くのも大好きです。」

「少し弾いてみますか?これはフラメンコギターです。」

「ぜひ!ありがとうございます。」

 

私はギターを弾いた。この時、趣味で音楽を作っていて本当に良かったなと、久しぶりに心底そう思った。友人がサビのメロディを口ずさんでくれた時が一番最初だった。それはどちらもNemoという曲だった。この時、地上に向けたメッセージを届けるために音楽を作るしかなかった真っ暗な深海で眠る声のない私が海の上に現れていた。

 

「…練習中にお邪魔しました。良い新曲が完成することを祈っています。」

 

別れ際、これで何か飲んでくださいとチップを渡してからそそくさとデッキを後にした。

 

第6の章 忘れ物です。

 

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