横浜のいる風景

夜景の主人公を中秋の名月として、いつもより多くの人が夜空を見上げていた気がする。

東口の短いエスカレーターが夜空へ導く背伸びを助けてくれる。

高島町から桜木町、高架線のJRと地下鉄のブルーラインに挟まれた国道16号に立ち尽くす人々がいる。

今日の月は支柱のランドマークタワーをぐるりと回る。

 

横浜駅を降りた私は夜の街を歩き続けた。

懐かしくなるためのことが懐かしくもあればいいのに、と思う時を大切にしている。

 

ブックオフディスクユニオンのハシゴ、格安の珈琲屋とボードゲームカフェ、最高の立ち食い蕎麦屋クラフトビール屋、馴染みの五番街とniigo広場前の5差路や平沼橋から見える風景、あの子に告白をした駅ビルのカフェとか贅沢をしてみたサモアールとか、手土産ならデパ地下で買えるくるみっこが良くて(すぐに完売するので注意)、わざわざスカイビルを登ってまで100円ショップで探し物をしたり、県民センターに行けば本の返却ができるし、もう閉店してしまったけれど超旨いハンバーガーショップや閑古鳥が鳴いていたダイエー、ローカルカラオケ店、シブめの建物にある映画館とライブ会場、いくつかの新しいラーメン屋、ドンキもジムもマックも床屋も通っていて、そうやって過ごしていれば今夜も海の見える夜景へ足が向かってしまうんだ。

 

ダイエーのフードコートでクレープを食べてから行こう。跡地はイオンモールになる。完成が楽しみだ。その時はかつてのメンバーを集めたい。

 

みなとみらいの一等地、煌びやかな夜が見える海側には臨港パークやスタバがあって、でも、アイドルオタクの私にとってさらに大切な記憶は2016年9月25日、パシフィコ横浜で行われた握手会、感想語りに花が咲いたバーミヤンの食べ放題だ。(私たちの手の中には花のような残り香があるのだ)

そこはお台場でもTOKYO IDOL FESTIVAL後の集会で使うチェーン店で、それも同じ海の見える街で、あれから何年経っても大切な場所で今の心情を切り取るために、横浜駅からみなとみらいまでは絶対に心拍数を上げながら歩いて行く。

 

夜行バスの集合場所、ベイクォーターに振り返るはまみらいウォーク、日産の本社から階段を登って降ればあとはまっすぐ海を目指すだけ。

 

ブルーラインを跨いだ西側には個人経営で素敵なベーグルやスイーツ、こじんまりした商店街もオンボロだった図書館もあって、やっぱりみなとみらいから日ノ出町までも歩いて行くと楽しい。

 

—神奈川県立図書館の話—

神奈川県立図書館が新しく生まれ変わった。

夏晴れにも負けじと、いや、むしろその明るさを消したがっていたのか、暗雲と薄闇が行ったり来たり、紅葉坂にそびえるあの頃の不気味な存在感。

今は古びた階段とボロボロの書架にまばらな人々、もちろんかつての使いにくいルールだって面影もない、多くの人が集う新しい町の文化の始まりを香しく纏っていた。

1階には珈琲屋が入っていた。

そんなことを思えば、今っぽい雰囲気で賑わっている姿にちょっぴり寂しくも、でもやっぱりこれからの世代にワクワクしたんだ。

図書館を後にすると、雨のぱらつく蒸し暑い空気が横浜の街を包んでいる。

暗がりから抜け出した時に見える、夕暮れの入道雲ランドマークタワーが切り取る、笑ってしまうくらい透明な夏空はすぐそこにあった。

坂を下るとみなとみらいの景色はやがて近づくけれど、私は大きくなるあこがれを知らなかったように、リュックサックの本が鳴って花咲町の音楽通りを曲がる。

「これからのまちはどうなるか」

「これからのまちはどうなるか」

—神奈川県立図書館の話 おわり—

 

もうひとつの図書館から坂を降ればすぐに日ノ出町の駅に着く。駅裏の階段も不気味なラーメン屋も、そして何より入り浸ったジャズ喫茶がいくつも現れて、まだジャズを聴き始めてそこまでの時間が経っていない頃にユニオンで買ったMiles Davisの『On The Corner』のレコードを若い店主に見せた時なんか、「ソレ、そこまで多く流通しているわけではないからね、良いもの手に入れたね。」なんて言われて、この縁も中央図書館から見えるみなとみらいの景色が少しずつ近づいて花咲町の音楽通りを曲がったからなのかなとか調子よくこじつけめいたり、あびいろーどなんて喫茶店があることを出来過ぎだなと笑って、この時間、宮川橋から見える歴史的な野毛の飲み屋街や、いつもの古本、ワンタン、エスプレッソ、ミニシアターまで揃う伊勢佐木モールの風景をうっとり思い出したりする。

 

早く起きればランチの時間ギリギリで間に合うように関内駅を越えて行ける。うどん屋も洋食屋もグリルもあり、絶好調なら昼からビールを飲む場所もいつからか選択肢に加わっていて、食後のコーヒーは専科か大学院なんだけれど、そこまでの金がなかったらグーツという素晴らしいコンビニへ行くために日本大通りのいちょう並木の下で休憩をするのも良いだろう。節約といっても、ここにはクラフトビールのトラップがあることを忘れずに。

 

あと10分も足を伸ばせばシルクセンターのアンティークショップにたどり着ける。5枚10円とかのジャケなしレコードをいっぱい買って、コレはさすがにユニオンの袋に入り切らない…とリュックサックをパンパンにさせながら、少しだけ帰り道は長くなるけれど、この勢いで海まで見ていこうという気持ちが楽しい。

 

山下公園を適当に歩いて中華街を突っ切る。端っこだから遠くても好きなコーヒースタンドに寄って、昔のバイト先とか中華食べ放題とか、チャーミングセールの元町の上品な活気の良さ、ひらがな商店街までご機嫌を伺いに行きたい。

博物館となった家からの眺望は本当に美しい。船が霧笛を受け取れば山手のロシュに隠れてみるのもいい。ここのオムライス、エビフライ、ビーフシチュー、最高だ。

 

さらにこの流れで山手、そして根岸までをも楽しむことができる。しかしかなりオーバーだ。YMOの映画「A Y.M.O. FILM PROPAGANDA」で圧倒的な憧れを感じた旧根岸競馬場、その周囲を囲む森林公園、幼少期には崩壊の風貌を特に気に留めることもなく遊んでいたし、ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞でお馴染み、レストラン「ドルフィン」ではソーダ水を頼むと今でも当時の音楽が流れる。時代は変わって新しい建物が現れてあの景色はもうはっきりとは見えないけれど、小さい頃から両親が運転する車でユーミンがかかっていて、今でもずっと大好きなんだ。高中とかサザンだってホームだ。

この町は旅のメインになってくれるほど面白くて、一日空きを作ってまで森林公園付近を広く散策してみても楽しい。

 

伊勢佐木モール辺りに戻ると一直線に続く夜の商店街に圧倒される。でも、当然どこまでもってわけじゃなくて、飲み屋とチェーン店と住宅街と、徐々に暮らしと生活に最も近づいてくる。

 

BOOKOFF PLUS NEW YORK—

そうだ、忘れもしない、横浜ビブレのブックオフで見つからなかった小説やCDは大体ここにあることが多い。そんな気持ちを誰にも言わずに今日も伊勢佐木モール店へ踏み込んでいく。

一階の入り口は二箇所ある。そこにはそれぞれ二つずつのワゴンが置かれている。ここはすごい。100円のCD、DVDがたんまりと並んでいる。たまにレコードもある。宝の山だ。

ブックオフのCDは何度も何度も値上げされてきた。それに伴い100円コーナーは消えかけている。CDを買う人も少なくなっているのだろう。買取終了の話題を見かけたこともある。

中学生の頃、私はミスチルの全てのアルバムを100円コーナーで揃える遊びを一人でやっていた。ブックオフの100円コーナー、ハードオフのジャンクコーナー、リサイクルショップのワゴンセール。案外すぐに集まったものだが、なんて楽しかった日々だろうか。ジェフリーディーヴァーリンカーンライムシリーズだってそうだ。いっぺんに上下巻が揃うと運が良い。ニューヨークは小説の舞台にもなっている。本を読みながら「十二月のセントラルパークブルース」に浸ったりして、そうやって何度も、このシリーズを明け方まで読み耽る夜は私を見たこともない広い世界に連れて行ってくれた。それは実在する舞台と、実在する思い出と、実在する物語が作り出す、全く新しい私だけの想像の世界に思えた。

あの頃の無限に拡大する憧れは、今の今までしっかりと繋がっている。

ミントンズ、バードランド、ビレッジバンガードブルーノート、あのジャズクラブに、まだ私は想像の中でしか訪れていない。それでも録音は実在している。あの頃のあのジャズクラブを閉じ込めたレコードは、これからも実在する誰かが回していく。

あの頃の世界の困難や苦悩を学者でもないただの20代の私が言葉として正確に伝えていくことは難しいだろう。ただ、そんな環境から生まれた、生まれるしかなかった音楽を楽しんでいくこと、それが直接誰かに伝わることはないにせよ、その感情がまた誰かに新しい音楽を回させるほんのわずかな力学にでもなってくれたら嬉しい。音楽が好きだから。それに尽きるんだ。

どれだけのっぴきならない環境があったのだとしても、あなたの音楽は最高だ。今からでもそうやって伝えたくなる瞬間がたくさんある。

ただひたすらに芸術を追求していたのか、孤独な叫びだったのか、いつか誰かに認められたかったのか、そんなことは分かりようもないのだが、でも、あなたの音楽を聴いている人は世界中にたくさんいるはずだ。あなたの音楽が、会話もやり取りも、存在すら一生認識しないのかもしれない誰かと私をイマジナリーなものではなく、実在する友人だと思わせている。

一人になりたくて音楽を聴いている時、私は一人ではなかった。

BOOKOFF PLUS NEW YORK おわり—

 

さらに商店街を突き進んでいくと、北西に数本の通りを越えれば黄金町の美術展もあって、ここもイベントの時の賑わいが新しい歴史を作りかけているように思う。

 

富士見川公園と月を南東に眺め、吉野町と南太田の間をすり抜ける。井土ヶ谷から京急の線路沿いに左折すれば弘明寺の坂道をグネグネと下るアップダウンが待っている。

商店街から線路と大通りの間に潜り込み、あとはそのまま一直線。上大岡駅まで来てしまった。

 

歩き疲れたから電車に乗り込む。

今、そこに躊躇いはない。

 

いつか、電車に乗り込むことも、線路に飛び込むこともできなかった私は上大岡駅に立ち尽くしていた。

“ホームドアが反射する足元に快速列車の風へ混じる黒い飛沫を知ったような気がして”

数分足らず、次の普通列車を待っていたあの時の私はこう書き残していた。

 

いつまでも記憶からは聞こえてくるけれど、またいつだってここから聞きに行くよ。

 

上大岡駅には快速列車が止まる。

止まらなければ良いのにと思ってたけど。