クリスマスに気付いた

 札幌駅に到着した松本は大雪のような人混みを掻き分けながら喧騒に紛れてプレゼントを探し回るひげを伸ばした人間、なのか、それはひげの意味がサンタクロースでなくても、枕元やベッドの横や、あるいはカーテンにかけたかわいい靴下を編み物が趣味の親や友だちに作ってもらっていたり、もちろん自作なのかもしれなくて、それはどうやって風の吹き回しを、どうやって偶然の流れを捉えるかにもよるが、何てこともない趣味が特別な日の何かになってしまっていたりだとか、クリスマスの時間を彩るための準備に取り掛かる人間は自分の身なりよりも誰かの感情にあたたかい服を着せてあげたいと思っているはずなのだ。

 もしかすると松本が間に合わせたい全てのことが今日、カレンダーだって白くいつも通りの地だとしても、クリスマスイブを通過していくこの自由な寂しさに慣れた光景が、徹夜で半目になりつつお土産すら持たぬ帰り道、こんな時にもまたやってくるのではないかと思った。続いて、すぐに、全ての予定を変えることに決めた時、今度がなくてもまた今度で良いのだと思った。

 松本は大雪のような人混みを掻き分けながら喧騒に紛れてプレゼントを探し回るひげを伸ばした人間になれる。

 物産展をぐるぐると、脳内の血の巡りが同じようにそうなっていたと言えるくらい何度も同じエリアに戻ってきてはそれは誰へのあれは誰へのお土産が良いだとか、ひとネタふっかけるようなたちでもないなとか、ぶつぶつと独り言を放出してプレゼントの購入に成功したのだった。

 駅のラーメン屋で注文した味噌ラーメンを見ていると、麺の上、その高く積まれた大量の葱に向かって、これは雪なんだとありったけの白こしょうを勢いよくふりかけることになった。すぐに隣の人のくしゃみで目覚めてしまうのだけれど、そうしてかつての朝、自宅の小さなクリスマスツリーに掛けられたプレゼントを見て叫んだ「サンタさん来た!」という自らの言葉を思い出す。

 松本はいつもより大きな声で「いただきます!」と言ってみた。