10月の雨

朝のざわめきは静寂に新しさを求めた。

スマートフォンの通知を止めてから出かけるまでの記憶が少ない。

昨日の夜に買っておいた菓子パンと常備している野菜ジュースが胃袋に入ったのはそれより前で、確かな記憶は、パット・メセニーディスコグラフィーをぼんやり眺めている時、目についた『想い出のサン・ロレンツォ』が偶然、さらに少し前の記憶に問いかけてきたことだけだ。

最近、私は東京とイタリアが交差する短い物語を書いていた。

パット・メセニー・グループ『想い出のサン・ロレンツォ』に新しさを求めてみたくなった。

100円の割引レシートを使うためにローソンでLチキを購入する。

いつもはレッドを食べているのだが、今日はレギュラーを選んでいた。

数日前のつみりんこ先生のツイートを思い出して笑った。

音楽の他に特別な何かは必要なくて、音楽が特別になっている日常を期待している自分。

それじゃあ特別な、Lチキ?片手に持っているホットコーヒーSサイズは?

こうして機械の前にいるだけの仕様が変わらなければ、110円に値上げされたことも日常の新しい選択をもたらすかもしれない。

いや、これ以上の値上げは勘弁してもらいたい。

「想い出のサン・ロレンツォ」の尺は10分で、ある日突然これが11分になっていたら誰かが気づくまで、「静かになるまで5分もかかりました」と壇上の先生は静寂を切る。

この瞬間は「静寂の次に美しい音」か。

そんなECMのコンセプトは体育館を思い出させる。

解放された4隅辺りのドアから見える信じられないほど原色に近い青空が汗を止めることも期待できず、ああーと、凍えながら指を丸めていた冬を思い出したりすることもあった。

しばらく、次に聴きたい音楽も思い浮かばないままとぼとぼ歩いていると、秋の寒さがフェリーニの『道』で見たシーンを脳内に連れてきた。

ニーノ・ロータのサントラを再生しかけてやっぱり止めた。讃美歌にしよう。

セロニアス・モンク『Monk’s Music』の冒頭には「Abide With Me」が収録されている。

「Abide With Me」はモンクが大好きな曲だったそうだ。

この曲の演奏にモンクは参加していない。自分の作品に耳を傾けていたのだろう。

1分足らずで曲が終わると、ピアノの前で静かに座っていたオーディエンスが急に立ち上がり、「よし、演奏を始めよう」と言った。

そこへ秋風が吹き、RAYの「逆光」が流れた。

秋のシュゲりは感情に空白を残し、これから聴くべき音楽に寄り添う心がなくなってしまった。

少し前、「虚空のスキャット」をDJでかけた時、今初めてピンク・フロイドを聴いた人は言った。

「次はいらない。今日はもうこれで帰る。」

どこにもなににも研ぎ澄まされていない。

今日の新しさはシャッフル再生だった。

1曲目、シュガー・ベイブの「すてきなメロディー Live」。

2曲目、ジョン・フィールドの「Nocturne No. 1 in E-Flat Major」。

3曲目、けやき坂46の「わずかな光」。

どうしてこうなってしまうのだろう。

今、私が過去に心から抱きしめられていた、今は再生することに少し勇気を必要とするこの音楽が、今の私の気持ちを遮ってランダムに流れてきた。

イントロのピアノの音で再生を中断してしまった。

でも今は違う。私の記憶は今こそ新しく思い出され、今度は私がその音楽を抱きしめる番なのではないか。そう思った。

私はみーぱんの笑顔を思い出した瞬間、今の言葉、この前TVerで見た『じゃないとオードリー』に影響されていないか?と少し恥ずかしくなり、それもアイドルの素敵な役割のひとつかなと笑いながら、誰もいない自宅のドアを開けて、大きな声で、「ただいまー。」と言った。

 

open.spotify.com

 

一人で笑ったり泣いちゃった日もあったけど 今日は週末だ 

私の帰る場所は 私にとって此処は 「おかえり。」

約束 / 瀬名航, 花咲なつみ (2018)

 

雨音に気づいて 遅く起きた朝は

まだベッドの中で 半分眠りたい

ストーブをつけたら くもったガラス窓

手のひらでこすると ぼんやり冬景色

12月の雨 / 荒井由実 (1974)