かなしくも希望しかない tipToe.「静かの海」(2022)

こんばんは。突然のメッセージ、失礼致します。

私はこのメッセージが「あなた」に届くことを信じていません。お許しください。

また「あなた」に救われてしまいました。

 

昨日、私は長い病気で発作を起こし病院へ救急搬送されました。

その症状の全てが省略すべき記述であることをわかっています。

やっとの思いで帰宅すると「あなた」はささやいてきたのです。

 

脈打つ心音がうるさいな

吐く呼吸音が気になるな

止まればいいのにな 止まんないな

 

心臓は過剰に鼓動し、呼吸は異常に身体を襲ってきた過呼吸の私を「あなた」は静かに抱きしめてくれていたようでした。

 

かなしい文章を送り付けてしまってごめんなさい。

それでもなぜかこの気持ちを書かずにはこの先どうやって生きれば良いのかわかりませんでした。

 

景色はほとんど変わっていませんが、時間だけは確かに変化していることに微かな希望を感じさせてくれたのは紛れもなく「あなた」です。

 

それはかなしくも希望しかない。

 

窓から外を見なくても何度も踏みしめた地面に分厚い雪が覆い被さっているのです。

凍りついたシェルターの扉はいつ、開くのでしょうか。

Bill Evansは『You Must Believe In Spring』と言いました。

しかし春を信じることになんの意味があるのでしょうか。

どちらにせよ春がやってきてしまうこと、それはやはり、かなしくも希望しかない。

You Must Believe In Spring (Remastered Version) - Album by Bill Evans | Spotify

 

SHE IS SUMMER「綺麗にきみをあいしてたい」には"お風呂の中なら涙はバレない"という可愛らしい、大好きな歌詞があります。

綺麗にきみをあいしてたい - song and lyrics by SHE IS SUMMER | Spotify

 

もちろん雨の中だってそうです。

では、凍りついた雪がそうさせるもは一体何なのでしょうか。

星空も月明かりもない曇り空が真っ白な地面を作り出しました。

光をつつむ灰色を歌うことで誰かの大地を白く、辷りやすくすることができるのでしょうか。

何度も転んだように思えて進んできた道につもる雪に、それはやはり、かなしくも希望しかないと、「あなた」は目の前の扉に身を任せました。

 

私の水槽は、ヴェルレーヌランボーが詠った静かな雨で満たされていました。

海から見える月は姿を変えてもいつも平熱でした。

 

目眩と動悸が激しいです。耳鳴りがします。

 

水面に浮かんでいると、青空が見えました。

私の身体に住む幼い虫たちが一斉に飛び出してきて、今年も夏が始まったかの如く、アブラゼミの鳴き声が響き渡っています。

声は海の上から陸へ届きます。

大通りをまっすぐ行き、ゆっくり進む電車の音と交差します。

川の音が聞こえてくると声は体育館を突き抜けます。

金属音が響き、耳鳴りは止みました。

 

春の先に待つ雨を信じなければならない。

 

晩夏の部屋に吹き込む風を感じた私は、「あなた」が夏の日差しを思うことにかなしくも希望しかないと、笑うしかありませんでした。

 

この部屋にもう時間なんていらないから時計を持って、一緒に行こう。

 

 

巷に雨の降るごとく

われの心に涙ふる。

かくも心ににじみ入る

この悲しみは何やらん?

 

やるせなき心のために

おお、雨の歌よ!

やさしき雨の響きは 

地上にも屋上にも!

 

消えも入りなん心の奥に

ゆえなきに雨は涙す。

何事ぞ!裏切りもなきにあらずや?

この喪そのゆえの知られず。

 

ゆえしれぬかなしみぞ

げにこよなくも堪えがたし。

恋もなく恨みもなきに

わが心かくもかなし。 

 

ポール・ヴェルレーヌ「巷に雨の降るごとく」

(堀口大學訳)

 

 

屋根の向こうに

空は青いよ、空は静かよ!

屋根の向こうに  

木の葉が揺れるよ。   

 

見上げる空に鐘が鳴り出す

静かに澄んで。

見上げる木の間に小鳥が歌う

胸の嘆きを。

 

神よ、神よ、あれが「人生」でございましょう

静かに単純にあそこにあるあれが。

あの平和なもの音は

市の方から来ますもの。

 

どうしたというのか、そんな所で

絶え間なく泣き続けるお前は、

一体どうなったのか

お前の青春は?

 

ポール・ヴェルレーヌ「屋根の向こうに」

(堀口大學訳)

 

屋根に流れ続けた雨を知っている「あなた」と「雨だれ」に心を込めて。

Chopin: 前奏曲第15番《雨だれ》 - song and lyrics by Frédéric Chopin, Fujiko Hemming | Spotify

 

静かの海 - song and lyrics by tipToe. | Spotify

痛みを音楽に変える音楽 [彗星パルティータ/阿部薫] (1973)

痛みを音楽に変える音楽 [彗星パルティー/阿部薫] (1973)

 

全くもって無事ではない音楽の中では無事なのかもしれない希望が消えない音楽は、いつかこの音楽がそうさせるように願うことでしか自らの運命を見つめられなかった者による演奏でしか完成に至れない。

 

80分間だけは私の身体の痛みと共鳴して、80分間だけは耐えきれない痛みも自分の身体が奏でる音楽に変わっている。

 

痛いの痛いの飛んでいけ。

痛いの痛いの空に飛んでいけ。

 

When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.

 

音楽は空に消えるだけだ。

再び捉えることはできない。

 

阿部薫「彗星パルティータ」は決して鎮痛剤にはならない。だが、少なくとも自分の力でこの渦巻く痛みを音楽に変えられるようにと阿部が絶望を誰かの希望に託して演奏で残していることに気づく。

 

私の痛みが音楽に変わり空に消えていく。

 

音楽を再び捉えることはできないと、Eric Dolphyは言った。阿部はドルフィーの強固な理論に隠された運命、Eric DolphyLast Date』に吹き込まれてしまった「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.」というドルフィーの運命で縁取られた真実と向き合うセリフにありったけの希望を見出したのだと思う。

 

『彗星パルティータ』はあなたの痛みを音楽に変え、そして、あなたの音楽は空に消えていく。

 

もう語ることなんてできない。

 

そうして音楽が消えた後、『彗星パルティータ』の痛みはあなたに痛みを作らせる。

 

痛みがなければ痛みを引き起こす音楽を聴け。

それは確かに、自分の力で得ることのできた痛みになるはずだ。

 

阿部薫『彗星パルティータ』は「痛みを音楽に変える音楽」であり、「痛みを痛みに得る音楽」だ。

 

私は「未完成」という文字を添えた『彗星パルティータ』に「痛みを音楽に変える音楽」と「痛みを痛みに得る音楽」の連鎖を感じてやまない。

Follow You Follow Me Follow Sea Follow Music

134号線を自転車で走っていると、真夏の立ち漕ぎは、バカンスを眺める青空に少しだけ近づくような気がした。

江ノ島はいつもすぐそこに見えていたけれど、絶景までは思ったより遠かった。

でも、渋滞している車道の横を駆け抜けていけば音楽の疾走感にも追いつけられる気がした。

自動車だって自転車だって徒歩だって、みんな南側の海を、相模湾を眺めていた。珊瑚礁や鎌倉高校だってそうだから、目が合うことはあるだろう。

ママチャリのカゴにはスピーカーが付いたウォークマンを乗せていた。リュックサックとかタオルとかペットボトルとか、位置がうまいこと決まっている。

そんな時は、高中正義の「BLUE LAGOON」こそ、この青い風景に最も相応しいと思っていた。

現代のアイドルソングをリアルタイムで追いかけている私はSANDAL TELEPHONEの「Follow You Follow Me」を聴いて思わず目をつぶった。

ギターソロには青空も江ノ島も、134号線から見た風景があった。砂浜で靴を脱ぎ捨てて走り出す人は注目の的だった。

Twitterでアイドルを見ているいつも通りになった日常から思い出す風景にぴったりな曲でもあった。

それでも私はただ、江ノ島の岩から、茜色が消えていく夕暮れを眺めていたばっかりだった。

 

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- 続き -

 

子どもにとってしんどい治療の時に親への説明と全く同じことをもう一度私にも伝えてくれた医者がいて、その時、言っている内容はよくわからなかったけれど、しっかり説明をしてくれているという理解があった。

 

親と医者が深刻そうに話す内容を理解できないまま盗み聞きするしかない時間はすごく不安で、端的に、もうそろそろ死ぬのだろうと思った。

 

この悲しさを思い出させてくれたポニーテールは常に後ろを向いているけれど、偶像でとらえるアイドルの目線は真っ直ぐで、あざとく振り返ってみたりする可愛さに少なくとも別の世界があることを教えてくれた。

 

時代は大きく異なっていても困難にいくつかの共通点があり、それらを伝えてきた昔の文章に勇気を貰える時、生きている世界が違うと思い込むことでやっとアイドルを見られる自分に納得できる。

2022年のアイドルソングについてとりとめもなく書いてみた

エレホンの「なんにでもれもん」が最も好き。佐々木喫茶さんの最高傑作か?このミニアルバム全部好き。うおお。あの振り付け動画でお腹が出ているタイプのレッスン着?の良さを理解した。私はロングスカートでぶかぶかでふわふわの衣装が好きがち。音源レビューは有名な音楽雑誌にも載ったらしい。ボーカルも神。元シュシュの人が公式のロンTにつけ襟を合わせていた画像は私につけ襟ブームをもたらしたのでやっぱり好きなセンスだなと思う。スパガのサマーレモンをオタクの友人におすすめしたらガチハマりしてライブを見てラジオにもメールを送ってとにかくハマってくれたので楽曲派冥利に尽きる。レモンの年だった。ネコちゃんの年は記憶に新しい。ナナニジの「カントリーガール」が最高だった。こういうことですよ。タイムラインでも軒並み評判が良く当然の気持ちだった。最高!ニジマスの「チャプチャパ」サブスク解禁によりこちらもタイムラインの一部の数人でぶち上がるなどした。あの夏は最高だった。久しぶりに夢アドの「メロンソーダ」を聴いた。クリームソーダとかサイダー系の楽曲も多数リリースされた。大体全部好き。可愛い曲調にしてくれるので。きゅるしてとかなんきにとか他。Nプロか。SOVAへの絶大な信頼は継続中。tipのコンセプトライブ神。ありがとう。ここでしか言えませんが雨は予期していた。サードシューズの二次創作に取り入れていた。Pの晩酌キャスを聴きながらウケた。相変わらずのディティールである。エアラちゃんも良かった!!!やばいアルバムがいっぱい出た。楽曲大賞的にはリルネのそれがぶっちぎりだと思っていたがカステラとか女子流がやってくれた。シチュとかリューティストはもう枠外で扱いたいレベルだった。そうじゃないアイドルに三十六房卒業ですと言う南波さんの気持ちがわかった。すごすぎる。フルッパーの傑作や安定的に良作を出すクマリ、そりゃあショウさんも調子良いわけだよなと思った。久々のげんてぃーさんとの共作うおお。まあ今年はさよすての「TUNED!」。旬も良かった。安定といえばわれぷわで私はわれぷわの曲がずっと好き。今年もおもろい曲をたくさん出してくれた。パラレルラ好き。個性的で面白いんですよねここは。レベルレベルとかエビワンとかの界隈の音源を聴きたいときがあった。ストーンズのジャケオマージュでニルヴァーナみたいなフレーズを入れたり原宿bの駅メロオマージュがあったり楽しかった。美味しい曖昧の「さまさま」も面白かった。ここの楽曲のテイストでブチ上がり夏曲は難しいと思っていたが器用に丁寧に作られていた。今年も「sugar beat」を聴き続けていた。パレパレの「フレフレ」は今ロック系アイドルソングを聴くならまずこれだと思います。傑作です。Jロックテイストなら「終末でーと部!」も良い。この手であの手にアプローチするならこの感じのエレキの音色か。虹コンの曲を聴き(さよならタイガーのアレンジいいよね)当然ずーちゃんのグラビアを見た。楽曲派なので。ずーちゃんの去年末の作品ホント最高だったしさよポニ→ヤマモトショウの流れすごすぎる。"私の秘密をひとつだけ教えてあげる"→"クリームソーダに世界ではじめてあのチェリーをのせてみた人は気づいたことでしょう「わたしのかわいいを見つけた」って"ああ可愛いーああーという感情。最高。白キャンとか天晴れとかニジマスとか私が地下アイドルソングを聴き始めたはじまりのはじまりがでかい箱のライブを叶えていて良かった。ぴるあぽの「君と水平線」に完全にハマった。初見イントロのドラムでもう確信。アコギソロからの落ちサビ"水平線の彼方へ君の見てる景色"の"見てる"が神。ベストフレーズ。ベスト歌詞はSAKA-SAMAの「恋は愛の日傘」。"愛の日差しは強いから 休みましょう避けましょう 日傘のような恋をして ラララララ"。サビも良い。地上のベストは「カントリーガール」ですが推し箱の日向坂なら「もうこんなに好きになれない」。歌謡曲〜ナイアガラ〜現代で好きなアイドルがやってくれてありがてえ。"同じスピードで大人になりたい"。辛すぎるけどめっちゃ好き。『僕なんか』の収録曲はかなり良かったですね。地上ならGirls2とLucky2が上質なポップスをやっているので聴いてください。後者は声がかなり若いからアレルギーを起こす人いるかも。私はオルタナ好きなのにオサカナちゃんは"声"がな〜みたいなことを言っていた人たちが信じられない。最もオルタナだろ。伝説になりかけていますがてるりんのイディオムはアイドルソング界に広まりましたね。まあかすてらのアルバムでも聴いて2010年代の後期を振り返ろう。オルゴールバージョンがクローザーなのがナイス。きのぽのあれとかわーすたのあれとかリルネードのあれとかMVも良かった。透色のYouTube『透色ってなにいろ?』をチェックしていた。好きコンテンツ。一昔前のタイムラインは坂落ちまねき白キャン行きが定番だったが最近はここなんすかね。と思うくらいの坂道リスペクト。「りちりち」のソロ接続。「ねえ、一緒に半音下に変えてみない?」みんな妄想泳いでる Rich Rich→ラスサビ転調。楽曲に関するオタクの発言で一番面白かったのは"ノイズのオタクにHiyornaのアンドロメダをおすすめされて今年でいえばシチュの正せよ状況と親和性があり良い曲ですねって言ったら初めて状況を聴いたそのオタクが乃木坂の会いたかったかもしれないを聞いたときみたいな違和感があると秀逸なコメント出したのめっちゃオタクで最高だったやつ思い出した。"/"この曲が収録されているEPは面白くて、次の曲「自分勝手」は前後にtipToe.の「群青と流星」「さくら草の咲く頃に」を持ってくるといい感じの流れが作れたり(と私は感じた)、Overtureがクローザーになっている逆張りもなんか可愛くて好き。"きとかのがいたNOiZ。サブスクで聴けるから嬉しい。シリウス聴き続けたい。いのるちゃん(みちこちゃん)ありがとう。夏の熱帯夜はフェアラブの「STELLA」で乗り切りました。めっちゃ良い。ここのグループきっかけで海外ラジオを使って音楽をディグるようになった。新たに発見した好きな曲(旧譜)はキャラメルリボンの「恋のmusic」。今年も三十六房のおかげで楽しかった。オタクの昔話が好きなので。ずーちゃんもそうですが武藤彩未さんごいちーさんなどボーカルが大好きな方の作品がどれも傑作で最高だった。「Flash Back」のベースソロのプレイヤー目線。わかる〜〜〜。「黄昏と楽譜」は音楽が好きなんだって思う人に聴いてほしい。音楽が好きなんです。コンセプチュアルなアルバムではカラテアの『ここで見た夢の話』が良い。"再生回数的にも急進力があるStardust storyからアスターHello Worldで引き伸ばしていくテンションをドリーミーに意識されたサウンドで酔わせる中間部がとても良い。M4~M8のミニアルバムに強烈なイントロとアウトロを飾ったような構成だと思う。"中間部といえばシチュの三部作も中間部が一番好きだった。"「PUNK DOLL」は今年一タイトなアイドルソングか。これがシングル単発でリリースされることはなくて絶対に三部作の中間部しかありえない曲でホント最高。こんなに綺麗にキマることあるんだってくらいその構成にしっくりきている。"りゅーてぃすとのアルバムがあの内容で30分でまとまっている。もう最高すぎて来年もたくさん聴きます。ピューパのアルバムもそう。「オーロラ」の空気感。「maNi_」から「aicotoba」の空気感。com「sugar plum orchestra」鳥 very bird「鳥Trick」50天「ふて寝」困ったらこの辺を聴いた。「ふて寝」はTikTokではやるのでは。ジャズファンとdelaの話題になったりオタクの先輩と前田敦子ソロの話になったり嬉しかった。12月です。「クリスマスはあなた色」を聴いてね。今年も絶叫しながら「冷たい炎」を聴きました。ジャズでいえば電少の新譜が『Doo-Bop』のその先でアイドル戦国時代を超えて生きたマイルスじゃん。いつもですがしんどくて可愛いしか受け入れられない時にのらくらとかくりはらまゆさんの曲を聴いた。今年も可愛い曲がいっぱい聴けて良かった。アイドルソングを死ぬまで聴き続けるための追求として「アイドルについて葛藤しながら考えてみた」を読んだ。まなもちゃんナイス。去年だけどちょうど「書記バートルビー」を読んでいたのでI would prefer not toで偶然の力が爆発した。"はじけてく恋の味 クラってスローモーション"。2022年は「なんにでもれもん」の年だった。

『Contemporary Northern Cruise』第6の章 忘れ物です。

Contemporary Northern Cruise』 eonr

 

第1の章 待たせすぎたオタク

第2の章 海の見える街で

第3の章 今、何を考えているの?

第4の章 祈る秋

第5の章 本棚

6の章 忘れ物です。

 

6階の定位置が再び空席になっていた。

このプロムナードラウンジから海を見ることはできるが、だから実際に今こうして見ているのだが、デッキから見渡したあの海は日の出にしてもライブにしても特殊な状況であったことを思い出す。高層ビルの隙間を無心でスルスルと歩く程度にはかしこい。展望台から見渡す街が特殊な風景でもなくなってしまった。

私は海の見える街を推していると言った。それは集合場所が好きだからなのかもしれない。みんなが知っている集合場所。私は安全な砂浜から遠くを見ている。たとえ眺めることしかできなくても尊敬や憧れの感情を引き出してくれる。デッキから見渡したあの海がこの街をシンボルタワーに変えた。

 

海の見える街へ足を踏み入れる少し前、私は港の近くにそびえるマリンタワーを訪れていた。

展望台からの絶景はビルと甲板を繋いだ。

目の前には太平洋の海が広がっている。振り向けば見える小さな住宅街、田園風景、鉄道。ガラスで囲まれたこの場所に風向きは楽な行き先を知らせてくれない。

目線を落とした私は両手の荷物を見た。なぜ買い出しをしてからこのタワーに登ってしまったのか。全てが揃ってからのお別れの風景こそ、やはりこの場所が相応しいと思っていたことを思い出す。ここでも予習をしていた。いや、セイミヤに釣られたのだ。賢明なオタク読者の皆様であればこの後どのような一節が入るのか予想はつくと思う。もういいだろう。はじめま…

フィッツジェラルド久石譲ceroも失われた街を描いた。私は失われた街に憧れやすい境遇だった。大都会と海に挟まれた街、高層ビルも港もある街、横浜はそんな場所だった。今日も湘南新宿ラインは駆け抜けていることだろう。私は街に行くことで街とともに消失できるのではないかと信じていた。海の見える街にやってくる木枯らしを信じていた。寂しさこそ失われることだと思っていた。早朝、街から沖へ向かう雲はごうごうと音を立てながら青空に流れていった。

「漂流者〜Drifting in the City」は、明日には消えていく海の見える街を彷徨う旅の始まりに相応しい一曲だ。

日の出の時に見た雲の特等席は、同じ時代を生きる同志に、あの街の誰かが失った感情に見せるためのものだ。

失ったものにすがる力を持つ私たちは消えていった感情を思い出せるはずだろう。

 

水戸駅から大洗駅までは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線を利用する。大洗マリンタワーから見ていた田園風景を突っ切る臨海鉄道。東京のりんかい線とはまた感覚が違う、素晴らしい車窓だった。

 

私は目的地、大洗駅の改札で電車にスマホを忘れていたと気づく。ダメだろうなと思いながらも走ってホームに戻ると、さっき乗っていた電車はまだそこにいてくれた。

座席を探しても忘れ物はなかった。

慌ただしく車内をウロウロする私に学生制服を着た女性が不安そうに話しかけてきた。

「あの、ケータイですよね?届けてあります。」

「ありがとうございます。本当に助かりました。本当に。ありがとう。」

私は車掌さんからスマホを受け取って同じ階段をもう一度、今度はゆっくりと降った。もちろん心拍数はさっきより高かった。

そういえば、都会なら終わっていたのかもしれないと思った。停車時間の長さに救われたのだ。誰かの余裕のおかげだった。

スマホで写真を1枚も撮らず、田園風景を突っ切る車窓をただずっと眺めていたことに強く納得した。

 

新たな地へ導くものに異国の思い出を全て話せるわけではない。

 

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『Contemporary Northern Cruise』第5の章 本棚

Contemporary Northern Cruise』 eonr

 

第1の章 待たせすぎたオタク

第2の章 海の見える街で

第3の章 今、何を考えているの?

第4の章 祈る秋

5の章 本棚

 

朝食を終えて街を見ると人々は少しだけ賑やかになっていた。隠しきれない満足気を共有しているようだった。ラウンジは満席になっていた。もうすっかりお気に入りの場所、6階プロムナードラウンジの端の席も今は2人組が座っている。

東側の海を見ながら階段を下って5階へ行く。ここはメインフロアだ。街の案内所を中心に、前方から、客室、ラウンジ、ランドリー、給湯室、浴室、展望デッキが揃う。

私は部屋に戻った。リュックサックを置いてサコッシュを持った。本と水を入れて展望デッキへ行く。

5階のラウンジも賑わっている。昨日と同じ場所にいる人を見つけた。窓に足を乗せた変な体勢で寝ている人もいた。

ランドリーと給湯室には誰もいなかった。探偵もいなかった。

海の見える風呂がある。私はこの街について予習をしていた。街になってからの1,2時間は風呂が空いているらしい。確かにその通りだった。曇りガラスに指で文字がかけるくらいの人の少なさだった。

3フロアで続く展望デッキが街の最も後方にある。私は一番下の階から一つずつ上を目指すことにした。重たいドアを開けると向かい風が吹いてきた。大きく伸びをした。

 

どこからか耳馴染みのある音が聞こえてきた。私は目を閉じたまま、ギターだ。と思った。振り返ると2つ上の階に音源を認めた。ギタリストがいる。遠くて目が合ったのかはわからない。私は今すぐ目の前の外階段を上って7階へ行こうと思った。いつまでも踏ん切りがつかなかった。徐々に近づいていくことは怖いと思った。私は咄嗟の判断で屋根のある場所へ戻って階段を登り始めた。呼吸を整えられるくらいの時間を掛けてゆっくりと2階分の階段を登った。7階の長い廊下を往復して時間を作ったりもした。意を決して、何事もなかったかのようにデッキへのドアを越えると、ギタリストは下から見上げたより思いのほか入り口に近い場所にいた。私には通りすぎて次のチャンスを伺うか今すぐに話しかけるかの二択があった。咄嗟に思考が引き出したものはついこの間友人からもらった映画のセリフだった。ここで話しかけた方が面白い旅になる確信を持っていた。

結果、私は話しかけた。それを叶えたのはほぼ全て芸術の力だったと言えよう。

 

「こんにちは。船でギターなんて素敵ですね。」

「あーどうも。聞こえてましたか。」

「ええ。いつもここで練習をしているんですか?」

「そうですね。定期的に向こうで仕事があるので、ここ数年は船の上で新曲を書いてライブで披露する流れができています。」

「到着したらどこへ向かうんですか?」

(中略)

「ギターがお好きで?」

「はい。聞くのも弾くのも大好きです。」

「少し弾いてみますか?これはフラメンコギターです。」

「ぜひ!ありがとうございます。」

 

私はギターを弾いた。この時、趣味で音楽を作っていて本当に良かったなと、久しぶりに心底そう思った。友人がサビのメロディを口ずさんでくれた時が一番最初だった。それはどちらもNemoという曲だった。この時、地上に向けたメッセージを届けるために音楽を作るしかなかった真っ暗な深海で眠る声のない私が海の上に現れていた。

 

「…練習中にお邪魔しました。良い新曲が完成することを祈っています。」

 

別れ際、これで何か飲んでくださいとチップを渡してからそそくさとデッキを後にした。

 

第6の章 忘れ物です。

 

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